1988年02月
当時はマキントシュの加工、出力をしていました。 黒人客でイグラナイトを国内へ輸入販売する為のカタログ製作依頼があり
長時間外国人と接する出会いが始めての経験でした。
彼は×××から来日しており、日本語学校に通っていました。 そこで知り合ったインド女性の実家が、イングラナイトの鉱山会社だという事で
輸入販売を考えた様でした。 その内、弊社で建築用の石材を取り扱うにと進み、卒業後入社しました。 が、出社したりしなかったりで、訳が解らぬまま只の知り合いになったのです。これが、これから始まる悪夢の人生序曲でありました。
1988年04月
この様な契機で輸出入を始めることになり, そこへ×××人で日本女性(心を病んでいるような)と結婚している
中古車輸出業者との肩書きで登場しました。 L/Cを貰っているが輸出するべきの中古自動車を仕入れる資金が足りないと
船積みしてL/Cを銀行へ持っていけば1週間で入金になるからと説明されました。 異国言葉を覚え、若いのに素晴らしいと輝いて見えました。
L/Cの金額は$24.000でした。 アホ日本人の幕開けでした。 へー、なるほど、ほーっ仕入れ金を用立ててあげました。
彼は確かに車を一生懸命探しました。 それからと言うものは大変の連続、彼自体も手馴れた風を装っていたが 実は生まれて初めてのビシネスだったのでしょう。運びから輸出検査から船積みするまで悟られないように必死だったんでしょうね。
それなりに頑張りましたヨ他人の金で......... 銀行持込の書類を揃えるだけでも、やれ原産地証明だ、何だと右往左往
やっと銀行へ持ち込みました。 まーてど暮ーらせどカネ来ない。 っとも、入金するのは彼の口座ですから真偽の程は判らないわけです
。
「社長集金に一緒に行きましょう」 もっとだと思いました。
チッケット代を払ってやって一緒に×××××へ出掛けました。凄まじい国でした。
15年前のサニーで迎えに来てくれて、タイヤつるつるで10Km走る度にパンク。 フェリーに2回乗り、カニ男や水頭症の子供と一緒にやっと到着、8時間。
花輪を持って10人もの子供や女性が出迎えてくれました。 彼はそれなりにこの村の期待の星なんでしょうか、来た来たキタご挨拶というか、
好奇心というか、300人位が宇宙語を。 疲れ果てて蚊帳付きのベッドでバタンキュー。 朝、眼が覚めたら固まりました。隣に全然知らない男が寝てるウー、顔が引きつった私が居ました。
開け放たれた鉄格子の窓に鈴なりに顔、顔、顔、30人位がニーと笑い、 私はは朝立ちを握って寝る癖があるものだから目眩がしました。
珍しかったのでしょう、オリの中の珍獣を見る好奇の眼で見られていました。 歯を磨くから、うんこするから、散歩するまで、20人30人がぞろぞろと。
さて、首都に戻り商売の話しになりました。 本題の未払いの客と思われるところでの話しは、
客の希望の4ドアーに対して届いたのは2ドアーだから払わぬと宇宙語を理解しました。
新しい客にも何人か会いました。 宇宙語で日本で良いカモを見つけたから幾らでも車を
送ってやるっぞと言っているように感じました。
パンダ旅行を終え日本へ帰って数日、一部金の入金があったと金を持ってきました。
その後音信不通でした。 延べ4カ月の授業料は210万円でした。適切な費用だったのでしょう。
1988年08月
この様な契機で輸出入を始めることになりました。